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課題曲 II  マーチ・ワンダフル・ヴォヤージュ/一ノ瀬康史

みなさんこんにちは!

トランペットを吹いたり教えたりしているこのサイトの管理者、荻原明(おぎわらあきら)と申します。今回は課題曲IIの解説です。

【作品を聴いて】

第一印象、なんか古い。

 

何というか、昭和の教育テレビ(今のEテレ)を観ているような印象を受けました。多分トランペットに出てくる「合いの手」リズムがそれを感じさせているのだと思いますが、昭和アイドルのバックで演奏している生演奏オーケストラ編曲のようです。ただ、それって今の人からすると一周回って新鮮なのかもしれません。

 

第一印象は以上です。

 

 

あと、トランペットのことではありませんが、まずクラリネットの音域が無難すぎる点。トランペットかと思える低い音域しか使っていないのはある意味すごいと思います。五線を上下ともほとんど越えない。これだったら1stクラを必要なときだけdiv.にすれば充分じゃないのか、というくらいクラリネットらしさを何も求められず作品が終わってしまうのでかわいそうだな、と思いましたが、この作品は小編成対応曲なのでもしかするとクラリネットが3名(初心者含む)でもできるようにと考えた結果なのかもしれません。それだったら素敵。

 

さらにスコアを二度見しましたが、ティンパニがパートとしてそもそも存在していないのが衝撃です。ただ、クラリネット同様これも配慮なのかもしれません。

 

そしてホルン。裏打ちがめちゃくちゃ高音域でこれはさすがにかわいそう。全体的にホルンの音域が高くて大変だなあと思った矢先、トリオになると今度は若干鳴りにくい音域でメロディ。音域的には逆のほうがいいですが、そんなこと言ってられない。

合奏していてもホルンが大変でなかなか音楽がまとまらない中学校が多そうです。

選曲する際には曲の聴いた印象ではなく、各パートの事情を踏まえた上で、ちゃんと考えて決めないと後々非常に大変な思いと後悔を抱くかもしれません。

 

そしてテューバもなんだか高い。テューバソロ曲ですか?と思わせる五線内の音域が頻繁に現れます。

きちんとツボを捉えて当たれば軽やかに響く音域なので、いつもと違ったテューバのサウンドを聴かせてもらえるかもしれませんが、バンド全体を支える、いわゆる「低音域」としての役目を担うオーケストレーションではありませんから、バンドが作り出した響きが全般的に宙に浮いているような印象を持つことになるでしょう。

しかもこの作品、ティンパニもありませんから、ベースのない浮遊した不安定さをどう払拭して(割り切って)作品を作っていくか、指導者の手腕が問われることになるでしょう。

[音価通り演奏することの大切さ]

課題曲 I も同じ印象を持ちましたが、これもオーケストレーション上たくさんの楽器が無難な音域ばかり演奏するので、バンドとしての音域が中央に密集してしまい、大変ゴモゴモする結果になりやすい作品です。

 

 

バンド全体をスッキリ聴かせるために大切なことは「音価通りの長さで演奏すること」です。それ以上でもそれ以下でもなく、楽譜に書かれた長さで全員が演奏すること。

 

吹奏楽で音が濁る原因の大半は、音の長さを守らないことから生まれる和音の乱れです。例えばドミソで響いている音が、次のタイミングでソシレに変化したとして、最初に出していたパートの「ド」の人が楽譜以上にボケ~っと伸ばしていると、ソシドレという違う和音、しかも半音でぶつかる音が生まれます。

 

こんな瞬間が作品の、バンドのあちこちで多発するとキタナイ響きや作品に書かれている響きと全然違うものが生まれ、非常に悪い印象を持たれてしまう、ということです。

 

ですから、和音にかぎらず、自分に与えられたパートのそれぞれの音価をきちんと演奏することを全員が心がけるだけでかなりスッキリとした完成図が見えてくる、というわけです。

 

 

[吹き始めが休符のときの注意点(冒頭、Trio2小節目,練習番号H1小節前、練習番号Iなど)

基礎練習でもロングトーン練習でも、「拍のアタマ」から吹き始めることを意識することが多いので、冒頭のような吹き始めが休符によってずれ込んでしまう場合に、奏者によって演奏の仕方にバラつきが生まれることが多々あります。

「休符は演奏しない部分」という認識が強すぎると、体を「音が出るタイミング」に合わせて準備してしまい、音楽に乗り遅れてしまうことがあります。

 

この冒頭の場合ですと、1拍目のウラをめがけて呼吸など体を合わせてしまう、ということです。

 

このような場合はたとえ音を発しなくても、体の準備(呼吸やセッティング)は『拍のアタマ』に向かって合わせます。

体はアタマから音を出せる動作をしておき、しかし舌が開かず空気が出せないのでアタマが休符になった、という具合です。

 

舌によって止めさせられたそのストレスを音符のある1拍目ウラで解放してあげるのです。

 

したがって、この作品の冒頭であれば、トロンボーンと一緒に1拍目オモテから吹くつもりで呼吸やセッティングなど体の準備をして、しかし半拍遅れて(1拍目ウラから)出る、という流れが良いと思います。

 

これはこの作品に限ったことではなく、どんな作品でも頻繁に出てきます。

ぜひマスターし、パート全員が同じ演奏になるように練習しましょう。

 

 

[フレーズの終わりにあるdim.(練習番号B 1小節前)

 

dim.(ディミヌエンド)やdecresc.(デクレッシェンド)は、楽典的に「音をだんだん弱く」といったニュアンスで解説されることが多い指示です。

 

この記号に限らず楽譜上のすべての記号に対して言えることですが、楽典や楽語辞典に書かれている言葉は、「その言葉の持つ意味」とか「結果的にそのような演奏になる」ということを掲載しているだけです。

 

したがって、楽語のほとんどは、家電の取扱説明書のような具体的指示でも、計算式のような他に代えようのない絶対的な存在ではありません。

 

そして楽譜は、あらかじめ用意されたいくつかの記号を使って、作曲者が自分の作品を多くの人に知ってもらうために書き記したものでしかありません。

 

勝手に思いついたオリジナルの記号を使いまくってしまったら、多くの人が理解できない楽譜になってしまい、例え素晴らしい作品だったとしても、伝えられません。よって、作曲者はすでに決められた数少ない記号を使って、なんとか自分の作品を伝えようとしているのです。

 

その作業は「妥協」の連続です。

 

しかたないのです。一定のルールを守って書かないと誰も理解してくれませんから。

 

 

ということは、私たち演奏者は、作曲者がその記号ひとつひとつに込めた「イメージ」を読み解く必要があるのです。この場面は、どんなイメージで書いたのだろう、この記号は結果的にどんな演奏をしてほしくて書き込んだのだろう、そんなイメージを演奏者はどんどん膨らませて、記号だった楽譜を生きた作品として再構築するのです。

 

演奏者は、作曲者の意図を汲む必要は確かにありますが、作曲者と100%一致する必要はありません。作曲者の多くもそれは望んでなく、むしろ自分がイメージして作り上げたその楽譜から、それぞれの奏者が更に新しいイメージを融合した、さらに成長した演奏を期待しています。

 

 

前置きが長くなりましたが、ではこの場面のdim.はいかがですか?単にデシベル的音量を下げて欲しいなどと、そんな機械的なものを作曲者が求めて書いたとは到底思えません。その演奏によって聴く人にどんな印象を持って欲しいと作者が思っているのかを考えてみましょう。

 

そして楽譜を読み解くとき、吹奏楽という大人数で演奏する作品の場合、パート譜だけでは理解できない「他の楽器との繋がり、関連」を理解する必要があります。

 

パート譜は機能性を重視しただけの省略型の楽譜で、情報としては非常に限定的な存在です。仮に奏者全員がスコアを見て演奏できるのであれば、そのほうが情報が多く、理解度も増えると思いますが、現実にはそれは無理ですよね。

 

ですので、パート譜で演奏する際は、他のパートが何をしているのか、どんなつながり、どんな展開が待っているのかを理解するためにはスコアを頻繁に見ることが絶対に必要です。

 

ぜひスコアを読む習慣を身につけましょう。

課題曲のスコアは1,000円程度で5曲収録のスコア集が手に入ります。課題曲を演奏するだけでなく、オーケストレーションや楽譜を読む力を身につける際にも勉強になりますから、買って損はありませんよ。

 

 

 

[できる、できないではなく、相応しいかが判断基準(練習番号C 1小節前)

何のことかと言いますと、「ダブルタンギング」です。同じ技術にトリプルタンギングもありますが、これらについて勘違いしている方が大変多いので、ここで話題に出しておきます。

 

 

ダブル、トリプルタンギングは、単にシングルタンギングができなくなったところから切り替える技術ではありません。

 

 

よく、シングルタンギング速い速い自慢をしている人がいます。確かに速いシングルができることはひとつの技術として素晴らしいものです。しかし、だからといって「俺はシングルでなんでもできるからダブルは使わないぜ」とかカッコつけているのは筋違いですし、かなりカッコ悪い。

 

ダブルやトリプルといったタンギングは、確かにシングルではできないスピードのリズムを演奏するためにも必要な技術ではあります。しかし、それ以上にこれらは、

 

 

『ダブル(トリプル)らしさを表現するための存在』

 

 

なのです。

 

例えばファンファーレ。勇壮なファンファーレの演奏は、金管楽器にしかできない特異な存在のひとつです。

 

もちろん木管でもピアノでも同じメロディを演奏することは可能ですが、何か少し違うと思いませんか?それは、ダブル(トリプル)タンギングが生み出す独特な音の並び方なのです。

 

では比較してみましょう。

ロッシーニ作曲の「ウィリアム・テル序曲」より、スイス軍の行進です。

 

元々はオーケストラの作品で、冒頭のファンファーレはトランペットが担当しています。

このピアノ編曲を聴いたあと、以下の演奏を聴いて印象の違いを感じ取ってください。

僕の師匠(津堅先生)がめちゃくちゃ若い頃の貴重な映像です。僕は中学生のときに毎日のようにこの映像を観ていましたが、Youtubeで見られるというのは大変ありがたい。

 

さて、おわかりいただけますでしょうか。ピアノソロの演奏も大変素晴らしいのですが、金管楽器のダブルタンギングを表現することは限界があり、やはり異質な印象を受けざるを得ません。これは、ピアノの鍵盤をいくら速く弾けたとしても表現できることではないと思います。

 

ですから、タンギングを吹き分けるとき「自分がシングルで吹けるテンポ」という判断基準ではなく、「その作品が活きる奏法」で決めることが大切です。

 

この部分のような場所は、ダブルが相応しいと個人的には思います。

[ベルトーンの勘違い(冒頭5,6小節目など)

各パートが音を順番に重ねる「ベルトーン」というオーケストレーションがあります。課題曲のマーチはなぜかこれが頻繁に使われている印象がありますが、室内楽では大変効果的なこの手法も、バンドだとあまり効果がありません。なぜならすでにその和音の構成音を演奏している人が多数存在しているからです。

 

それはさておき、ベルトーンは名前の通り「ベル(鐘=ハンドベル?)」のような印象を受けることからこの名前が付いたと思われますが、

 

「鐘はすぐに音が減衰する」

 

というイメージを表現する…吹いた後、音をやたらと抜こうとする人がとても多いのが気になります。

 

単純に考えてみてください。ベルトーンは「重なり合ったハーモニー」を聴いてもらうことが最終的な目的であり、効果のひとつです。なのに、音量を減衰させすぎて音の立ち上がりしか聴く人の耳に届かないのであれば、わざわざ3人がタイミングを合わせる必要もなく、ひとりで音を3つ吹けばいいだけです。

 

よって、ベルトーンであっても、最後まで音はしっかりと維持し、ハーモニーを感じてもらえるバランスをキープするよう心がけましょう。

 

 

 

ということで、この作品に関しては以上です。

 

 

もっと詳しく知りたい!実際の演奏がどうか聴いてもらいたい!具体的に上達したい!という方はぜひレッスンにお越しください。

 

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では、次回は4月6日に課題曲III「吹奏楽のための「ワルツ」/高昌帥」の解説を掲載します。

それでは!

 

 

 

 

 

荻原明(おぎわらあきら)

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