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課題曲 III  吹奏楽のための「ワルツ」/高昌帥

みなさんこんにちは!

トランペットを吹いたり教えたりしているこのサイトの管理者、荻原明(おぎわらあきら)と申します。こちらは課題曲IIIの解説です。

【作品を聴いて】

とてもシンプルで美しい作品だな、と感じました。

 

吹奏楽はどうしてもドンチャン騒ぎになりがちなので、こうした作品を丁寧に丁寧に作り上げていく経験は非常に価値のあるものだと思います。

 

作品の構成は非常にシンプルですが、しかし楽譜を見ていると様々な「常識」と「常識から生まれる音楽表現力」が必要になることがわかります。その常識的な音楽表現がすんなりできてしまうバンドとそうでないバンドの二極化が想像できます。

 

それは日頃から音楽表現の基礎、簡単に言えば「当然そうなるよね」という表現力があるかどうかなのです。

[地球上だから生まれたこと]

突然スケールの大きい話になってしまったわけではありません。

 

 

僕はレッスンで音楽的な表現を解説するときに「地球にいるから生まれたものがたくさんある」という話をします。

 

 

その元となるのが「重力」です。

 

 

例えば、

 

 

坂道のてっぺんにボールを置けば、コロコロと坂をくだっていき、だんだん加速します。

ボールを地面に叩きつければ跳ね返ってまた地面へ落ちます。

ボールを上に投げると、最高地点で一旦止まるような動きをみせて、直後に落ちてきます。

木の葉の形と軽さによって、木の枝から落ちる動きやスピードは非常に独特です。

重い鉄球はドスンと落ち、その動きや衝撃によって「重い(重そう)」と感じます。

 

遊園地の乗り物などもイメージしやすいかもしれません。

 

当然のことと思いがちですが、これらすべては地球上だから起こることです。

 

地球で生まれた音楽は、これらの自然な現象の影響を強く受けて発展してきました。

 

 

この課題曲III「吹奏楽のための『ワルツ』」はまさに地球上の自然的なテンポ感、フレーズ感で演奏すべき作品です。

 

 

自然的テンポ感やフレーズ感は、しばしば「緩急」「揺れ」「歌(う)」などと呼ばれます。一度くらい聞いたことありますよね。

 

 

こういった作品では、指揮者や指導者が、

 

「この箇所はこういうテンポ(変化)で演奏するぞ!」

 

と、奏者たちを指揮棒で強制的に操り、合わせさせる方法をとってしまうと一向に完成しません。

しかし、学校の吹奏楽の指導者や指揮者の多くは「100回やったら100回とも同じクオリティ、同じ表現の演奏になる”奏者の表現を型にはめる”指導」をさせたがります。特にコンクールでは失敗することがないように、それをさせたがります。

 

 

しかしこの作品を訓練を重ねて自然に聴こえるように仕上げると、かえって不自然で気持ちの悪い音楽になってしまいます。

 

 

仮に奏者がフレーズのはじめの音を予定より少し強めの勢いで演奏したら、その音は予定よりも高く舞い上がるわけです。高く舞い上がったら落ちてくるまでの時間も遅くなるわけですし、予定より高いところから落ちてくるので、加速度も増して、落ちたときの衝撃も予定強くなるのです。

 

これが地球上に起こる「自然」なのです。

 

 

これを「いつもと違う!」と否定するのはおかしいと思いませんか?

 

 

もちろん、その場面をどのように演奏するかを定め、そのように音楽を作り上げていこうとしているのに、奏者がそれを無視して上記のようなことをしてしまっては曲作りになりませんから、ダメです。

 

しかし上記のようなことが起こってしまったら、もう現状を受け入れるしかありません。そうしないと不自然になってしまうからです。

 

でもそれってネガティブなことではないと思います。同じメンバーなのにそのときそのときで生まれた表現や加減によって無限に変化するのが当然で、毎回少しだけ違ったものが生まれるのが音楽本来の姿です。

 

ロボットのようにプログラミングされ、それを実行して寸分の狂いもなく毎回同じことを繰り返せる演奏なんて気持ち悪いだけですし、人間がする必要のないことです。

 

 

 

この作品の根幹はこういった「自然」なものをどこまで「自然」に表現できるか、だと思います。

指揮者も含めてバンド全員が「自然」な表現ができるようになれば、すぐに完成するかもしれません。

 

 

ちなみに、この作品では登場しませんが、音楽はイメージの世界ですから、「自然」と対照的な超常現象や地球上では起こらないことも可能にします。

 

 

投げたボールが空中でピタっと止まって落ちてこない

目の前にあったものが消えた

坂道を勝手に転がり上がるボール

時間が停止した

風船に空気をいれたらどんどんしぼんでいった

突然現れる悪魔

 

 

音楽ではこのようなSF、ファンタジー、ホラー、怪奇現象など非現実的な表現も可能なのが面白いところで、このような音楽作品も多いので、自分が演奏している作品は自然的なのか超自然的なのかを理解し、その両方とも表現できるよう心がけましょう。

 

[メトロノームでは表現できない音楽]

この作品は、均等に刻み続けるだけのメトロノームで表現することができません。

 

曲(メロディ)を練習するときに「テンポが乱れないように」メトロノームをカチカチ鳴らして、それに「合わせる」姿勢で練習していませんか?この行為、何も得るものがありません。それどころか、これこそ「自然」とはかけ離れた、人間味のない機械的な音楽になる一方です。

 

メトロノームの存在はフィンガリング練習時など有効な場合もあるので決して悪ではありませんが、先ほど書いたように自然な音楽の流れは、機械的な正確性を持っていませんので、メトロノームを使って練習することはできません。

しっかりしたテンポ感を持ちつつも、それに左右されることなく自分自身の中にあるイマジネーションとそれをアウトプットする表現力(楽器で表現する力)によってテンポを生み出す必要があります。外部のものに自分が「合わせる」姿勢では、一生かかってもテンポ感を持つことができません。

 

ですから、パート練習(場合によっては合奏でも)、指揮者がいるべき場所にメトロノームをドーンと置いて、みんなでカチカチした単純な反復運動に合わせて曲を演奏する、という行為に対し僕は強く否定します。それがたとえ行進曲であってもです。しかしこれがどうしてとても良く目にする光景なのです。音楽の大切な要素を欠落させたくなければ、即刻やめましょう。

[練習番号6,1小節前を例に]

では、この作品のトランペットが演奏する箇所でテンポの緩急について具体的に解説します。

 

練習番号6の1小節前から始まるこの箇所、トランペット3パートすべてが同じリズムで演奏します。

 

見た目、ものすごい沢山の情報が書いてありますが、整理すると「molto rubato」から「poco a poco accel.」になり、全体を通して「leggiero」で演奏して欲しいようです。

 

ひとつずつ確認してみましょう。

 

 

まず「rubato(ルバート)」は「tempo rubato」と書かれることが多く、「テンポを自由に加減して(感情を表現するために)」という意味を持っています。

 

「rubato」は「盗まれた」という意味があり、音楽では正確なテンポ感がなくなった状態を表す=テンポの捉え方を自由に、という意味で使われます。ただし「自由に」と言ってもテンポ「遅い」方向性で使われます。この場面ではさらに「molto(モルト)=非常に」がついています。

 

 

「accel.」は「accelerando(アッチェレランド)」の省略表記で「だんだん速く」という意味です。英語のアクセルと同じ語源で、例えば車のアクセルを踏んだら加速する、などイメージがあるとわかりやすいですね。この言葉には「poco a poco(ポコアポコ)=少しずつ」がついています。

 

 

「leggiero(レッジェーロ)」は「軽く優美に」という意味を持っていて、原則的にレガートではない(=タンギングが必要なとき)に記します。

 

 

 

さて、以上の情報を元にすると、こうなります。

 

 

「練習番号6の1小節前でテンポが非常に遅くなり、その後少しずつ3小節かけてテンポアップする」

 

 

解釈は合っています。ただ、これでは日本語に訳しただけの機械的、数学的な理解であって、音楽的表現に結びついていません。

 

 

奏者の中から湧き出てくる「自然的」イメージを加える必要があります。

 

 

最初遅くてだんだん速くなっていく地球上の自然な現象や運動、何かイメージできますか?楽譜に書かれている音の並びも大切な要素です。

 

 

例えば、この音符の並びを線で結んでみましょう。すると、いびつな斜面が生まれます。ではこの斜面に、ボウリングのようにボールを転がしてみます。

 

ボールのうごき、イメージできますか?

楽譜を見てもらえるとわかりますが、練習番号6に入る手前で一度音が高くなっていますね。もしこれが大地だったら、ほんの少し地面が盛り上がっている場所があるイメージです。すると、ボールは高いところでほんの少しためらうかのうように減速し、そこを越えたところから本格的に転がっていく、しかしその坂も途中途中で少し盛り上がっているので、単純にゴロゴロと転がり落ちるわけではありません。

 

 

どうしてもボールの運動がわかりやすいのでそればかり例に出していますが、みなさんのイメージしやすい素材で構いません。

 

 

とにかく、楽譜に書いてある文字をただ訳し、それを機械的なテンポ変化で演奏するのだけは避けましょう。いかに自然な運動になるか、それを音楽で表現できるかがこの作品の最大のポイントです。

[フェルマータについて考える]

楽譜から読みとる自然なテンポ変化について触れたので、フェルマータに関しても解説します。

フェルマータは「音をほどよくのばす」といったニュアンスで書かれることが多く、「音価の2倍のばす」など非常に乱暴な言い方をされることもありますが、実際にはフェルマータはもっと柔軟で様々な解釈や表現ができ、場面によっても奏者によってもその個人差が大きいので、表現力を問われる記号と言えるかもしれません。

 

 

もともとフェルマータはイタリアで「バス停」を指す言葉でもあり、英語のstopと同じ意味を持っています。

 

 

ではイメージしてください。バスはバス停に来ると一旦停止し、お客さんの乗降が完了すれば再び発車します。ポイントは発車することが前提で止まっているという点です。この先もまだ進むつもりなのです。

 

 

音楽でのバスの運転手は我々奏者です。フェルマータの付いた音符は一旦停止するものの、その意思は前に進むつもりでいるわけです。場面や場合にもよりますが、フェルマータの音符でのんびり立ち止まっているというよりは、「進みたいのにフェルマータのせいで進めない!」というストレスを感じ、そこから解放されたときに発散された影響が出るくらいがちょうど良いと思います。

 

 

先ほども書いたようにフェルマータは様々な解釈ができる記号です。例えば、メロディや曲の最後の音についているフェルマータは、次に行くと言っても、もう先がないので、終着駅のような感じです。したがって、演奏では「最後の音を楽しむ」とか「作品の余韻を感じる」などの解釈がふさわしいかもしれません。

 

他にも、小節線に対して付けられたフェルマータには「Fine(フィーネ)」の同様の意味になります。

 

このように、同じフェルマータという記号であっても、場面や状況、奏者(指揮者)の解釈や判断でかなり演奏の仕方がかわりますので、どういった演奏がその場面にふさわしいかをイメージして、聴く人へそれを届けられるように練習してください。

 

練習時に自身のフェルマータがどのような演奏になっているか、ぜひ一度録音をしてみましょう。慣れていないひとほどフェルマータが思っていた以上に遠慮気味に短くなってしまうと思います。

[音のブレンドの勘違い]

戻りますが「練習番号3」は3rdトランペットだけがメロディを担当しています。こういった配慮も課題曲としては素晴らしいと思いましたが、いつもパート割を年功序列で決めている部活、1stが先輩で3rdが後輩にしていると、突然後輩が大役を任されるわけです。それでも大丈夫というところもあれば、不安だらけになってしまうところもあるでしょうから、きちんと考えてパートを決める必要があります。

 

 

そしてこの場面、3rdだけがメロディを演奏しているわけではなく、他のパート(主にホルン)が一緒にメロディを演奏しています。

 

 

異なる楽器がひとつのメロディを演奏するときにも、たびたび「音をブレンドさせて」という指示が飛んでくることがあります。

 

 

音のブレンド…みなさんはどんなイメージを持ちますか?

コーヒーにミルクを混ぜるようなイメージを持ってしまいませんか?

 

このイメージが少々危険で、コーヒーとミルクが完全に混ざって新しい飲み物「カフェオレ」になったように音をブレンドさせようとすると、それぞれの楽器の個性をなくして何やら聴いたことのない第三のまろやかサウンドを生み出そうとしがちですが、これはまったく違う発想です。

 

 

音のブレンドとは、各楽器の音色がしっかりと鳴っている状態を指します。

 

 

パイプオルガンがそれの最たるもので、「鍵盤の数×音色の数」ぶんだけパイプが用意されています。

 

 

パイプオルガンの仕組みを簡単に説明します。

例えば60鍵盤のオルガンがあったとして、鍵盤ひとつ(1つの音)に対し1本のパイプが必要ですから、異なる長さのパイプを60本用意することになります。

しかしこれだけでは1種類の音色しか出すことができません。もし他の、例えば金属的な硬い音色が欲しければ、そういった音色が出る材質や形状のパイプをまた鍵盤の数だけ用意するわけです。

 

パイプオルガンはたくさんの音色を出すことができるのが特徴のひとつですので、基本的にもっともっとたくさんの音色が用意されています(規模による)。ですので、結果としてとんでもない数のパイプが用意され、そのパイプの収納スペースも必要となるので、コンサートホールでは壁一面を使ったりもするのです。

 

パイプオルガンがやたらと大きいのはそのためです。

 

 

そしてパイプオルガン奏者は用意された音色から作品や場面に応じて複数の音をチョイスし、ミックスさせてユニークな音を作り出します。

 

 

吹奏楽も同じですよね。吹奏楽は奏者ひとりひとりが異なる音色のパイプを持った団体です。各奏者は自身の担当する楽器の音色をしっかりと主張させて演奏することで、その団体のそのときのメンバーでなければ出すことのできないミックスされたサウンドで演奏することができるわけです。

 

音のブレンドは、各自が音色を主張することによって生まれるということ、忘れないでください。

 

 

 

ということで、この作品に関しては以上です。

 

場面ごとに具体的なアドバイスをしませんでしたが、今回の話だけで充分だと思います。ぜひ「自然」な演奏を心がけてください。

 

 

もっと詳しく知りたい!実際の演奏がどうか聴いてもらいたい!具体的に上達したい!という方はぜひレッスンにお越しください。

 

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また、部活などに主張レッスンも可能です。

 

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では、次回は4月20日(金)に課題曲IV「コンサート・マーチ「虹色の未来へ」/郷間幹男」の解説を掲載します。

それでは!

 

 

 

 

 

荻原明(おぎわらあきら)

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