課題曲 Ⅱ マーチ「エイプリル・リーフ」/近藤悠介
みなさんこんにちは!
トランペットを吹いたり教えたりしています、荻原明(おぎわらあきら)と申します。このサイトの管理者です。
吹奏楽コンクール課題曲トランペットパート解説2019と題して全然トランペットパートに特化してないと評判のこの企画、今回は課題曲Ⅱ マーチ「エイプリル・リーフ」です!エイプリールフールと誤読したのは内緒!(そう言えば作曲者本人がエイプリルフールをもじっただけって言ってたのをTwitterでこれを書いた後に見ました)
[「エロっぽい」は不適切な文言(2019年3月7日追記)]
吹奏楽連盟から改めてフルスコアが届きました。何でも、この課題曲Ⅱの作曲者コメントに不適切な文言が含まれていた(断言)とのことです。
その不適切な文言とは「エロっぽい」という言葉でした。確かに「エロっぽい」という言葉のチョイスはまるで男子小学生が初めて覚えてむやみに使っているかのようで稚拙な匂いがしていましたし、作品の質を下げているとは感じました。ただそれが不適切だとはまったく思いません。
まあ、およそ一部の親御様が「中高生が学校の部活動で演奏するコンクール課題曲なのに「エロ」という下世話な単語が書いてあるのは何だ!」とご立腹になっちゃったのではないか、と勝手に推測しています。昔から下品なもの、言葉、そうした行為をするメディアに登場する人物に対して過剰に反応する大人はいましたが、最近はそうした人の意見がホイホイと簡単に通ってしまうようになってどうも納得いきません。
最近では、美術大学を訴えるセンシティブなお姉さまがいましたね。
「エロ」という言葉になぜやたらと過剰な反応を示すのか。エロはエロティシズムの(下世話な)略で、芸術における官能的な表現に対しても使われる言葉で、それを題材にしたものなど数多く存在します。
よく話題になることですが、「サロメ」や「中国の不思議な役人」「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸の物語による~」など吹奏楽コンクールでもそうした内容の作品を中学生が堂々と演奏しているのに、それについては特に禁止運動が起こったりしないのは多分、タイトルからはエロティシズムを感じなかったり、作品の背景や持っているストーリー性を「エロっぽい」で反応する一部の大人が理解できないからだと思うのです。結局表面的なことばかり反応して中身についての理解は浅い残念な印象を受けてしまいます。
だからこういう話題が出るたびに「面倒臭い」と思うのです。もっと知識欲をくすぐるような深いところでこういった話題になってくれるんだったら面白いのですが。
まあこれは僕の勝手な憶測にすぎません。全然違う経緯かもしれないのでご了承を。
それにしても作曲者も作曲者ですよ。スコアに新たに掲載した解説文、何ですかこれは。最初の解説を知っているから余計にどうでもよくてつまらない演奏の提案に終始している。あれですか、テンションだだ下がりですか。厳しい先生が目を光らせている横で強制的に解説文を書き直させられている子どもみたいですよ。
僕は作曲者の方を全然存じませんが(どなたかのTwitterで偶然写真だけ拝見しました)、どう考えても最初に書いた文章が本意でしょうし作品に込めた素直な気持ちのはずです。
したがってこの作品の解説は、その本心の解説文(最初に出版されたときのもの)を尊重して進めていきます。
(まさか解説文が書き直されるなんて思ってもみてなくて、「エロっぽい」という言葉をどう捉えるかについて詳しく書いてしまったので、書き直す気がない、というのはナイショ)
それでは、課題曲解説に入ります。
以下はここまでの文章よりも前に書いたものです。ご了承ください。
課題曲のスコアには作曲者のコメントが掲載されています。そしてこの楽曲にはこれまでこの場所で見かけたことのない単語が出てきます。以下引用。
「この作品のテーマは「お洒落」と「色気」です。第1マーチの旋律に現れる装飾音は、少しエロっぽい(?)演奏が望ましいですが、それを大袈裟にやると色気が薄れ、台無しになってしまいますのでそういった自然な流れとお洒落さと曲全体の雰囲気を大切にしていただけるとありがたいです。
全体的に難易度はそこまで高くはないので、奏者1人1人がファッションモデルになった気持ちでこの作品を演奏すれば、曲の雰囲気もサウンドもきっとお洒落になると思います。
では、楽しい演奏を期待しています。」
…とりあえず「お洒落」「色気」そして「エロ(っぽい)」という単語が出てきました。が、僕がこの作品を聴いた印象は率直に言って「若者らしい」「元気で活発」「爽やかで都会的」あと、「いつも通りの課題曲マーチ」といった感じです。
うーん…お洒落、オシャレと色気かぁ…そうは感じないんだけど、強いて言うなら、若い人がイメージしている「お洒落」「色気」なのでしょうか?若い方が抱く理想や憧れの、実体験のない想像、妄想。本質としての色気には程遠い気がするので、こういったコメントがあると楽曲解釈が逆に難しくなってしまいますね。まあ、要するに「大人っぽさ」と言いたいのでしょうね。
しかし作曲者の作品に対する完成形のイメージを聴く人に伝わる演奏をすることが奏者の目的のひとつですから、演奏者はそれがどのようなものであっても尊重しなければなりません。したがって、お洒落さ、色気、そして装飾音のエロさ、これらを表現するための工夫や努力をする必要があります。
イメージを固めたり具体的にするには、「逆」を考えることをお勧めします。この作品では大人っぽさの反対なので「子どもっぽさ」。では、子どもっぽさとはどういうものでしょうか、挙げてみましょう。
・可愛さ
・愛らしさ
・小ささ
・脆(もろ)さ
・自由さ
・無邪気さ
・唐突さ
・柔らかさ
・思慮の浅さ(知識・経験の少なさ)
こんな感じでしょうか。他にもありますか?これらを音楽に当てはめて考えると、子どもっぽい演奏というのは「計算されてない自由で脈絡のない(ように聴こえる)ユルくて脆弱な演奏」と考えられます。ですから、作曲者の望む「大人っぽい演奏」とは、
『理路整然とした、計画性のある、知的な演奏』
そんな感じかもしれません。これだとだいぶわかりやすくなりませんか?
[装飾音]
エロい装飾音という発想がなかなか面白いですが、多分ですがジャズなどでメロディ演奏時「半音ひっかけた音」を入れることがありますね。クラシカル作品の演奏における装飾音の使用ではなく、ジャズやポップスで用いられる「楽譜に書いてないけど入れちゃう」あれを「エロっぽい(装飾音)」と言ってるに過ぎないのだろうと書いていてだんだん見えてきました。ただ単にボギャブラリーの少なさが露呈しているだけなのかもしれない。
さてそんな装飾音ですが、拍子や拍にカウントしない存在であることを伝えるために音符を小さく表記していますが、その視覚的な音符サイズを演奏にそのまま反映させてしまうと、速すぎ(短かすぎ)てしまいます。
音というのは物理的、聴覚的に法則性があり、「低い音は高い音より聞こえにくい」「短い音は長い音より聞こえにくい」ので、装飾音だからと音を短くしすぎると、単純にミスしたように聴こえてしまいます。したがって、装飾音はきちんと音の幅を持たせて、客席にきちんと何の音かわかるようにしっかり演奏するよう心がけましょう。
[同じメロディだけど]
練習番号Hと練習番号Kはメロディが同じですがクライマックスに向けて全員でフォルテで演奏している場面には練習番号Hに付いていたスラーがありません。したがって奏法としてはタンギングで演奏するわけですが、果たしてそれだけで十分でしょうか。
演奏者の基本的スタンスは常に「聴く人に届くか」ですから、これら2つの楽譜を、聴く人がどれだけ違いを認識できるか、それを意識して演奏してください。言い換えるなら「自分が納得してそう演奏している」では説得力が足りないのです。作曲者がそれらの違いをどのようにイメージし、演奏して欲しいと思っているのか、作曲者のイメージを汲み取るようにこころがけ、それに追加して自分は聴く人へどんな音楽を届けたいのか、それを強く感じ、工夫して演奏しましょう。
また、タンギングであってもフレーズ感がバラけることは本来ありえません。ですから、スラーで演奏したときのフレージングを練習番号Kの部分でも意識して、心の中で流れる歌を感じてください。力強く演奏しようと考えて音をひとつひとつ鳴らそうとすると音符同士のつながりが崩れて、演奏者も大変だし聴く人も理解しづらいものとなってしまいます。
ということで、課題曲Ⅱはここまでです。
もっと具体的に知りたい!実際の演奏がどうか聴いてもらいたい!具体的に上達したい!という方はぜひレッスンにお越しください。
荻原明が講師を務める東京都文京区にありますプレスト音楽教室では、通常の定期レッスンのほかにも「吹奏楽クラス」というレッスン料のみの単発レッスンを受講できます。
また、部活などへの出張レッスンも可能です。
すべてのレッスンに関してはこのサイト内にございます「Lesson」ページに詳細がありますので、ぜひご参考になさってください。
また、安定した演奏や、トランペットの知識を深める荻原明の書籍も好評発売中です。こちらに関してもこのオフィシャルサイト内「執筆活動/出版物」ページに掲載しており、購入先のリンクもございます。ぜひご覧ください。
各週火曜日更新のブログ「ラッパの吹き方:Re」と、交互に掲載しております「技術本(テクニックぼん)」もぜひご覧ください。
では、次回は3月29日午前に「課題曲 III 行進曲「春」/福島弘和」の解説を掲載します。
それでは!
荻原明(おぎわらあきら)